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信玄は徳川織田連合軍を三方ヶ原で破り、
西上していた武田軍の味方である朝倉軍は撤退したが、
武田信玄が上洛すれば再び戦線に復帰し信長包囲網は強化されるはず
しかし、西上途中の信玄は死んでしまう
その時、信玄は
死を3年間秘密にし、遺体を諏訪湖に沈める事
と遺言を残して死ぬ
その後の武田軍を迷走させた
しかし信玄が死んだ時の状況である、西上途中だった
実際に行われた撤退ではなく
このまま西上してほしかったのではないだろうか
さすれば信長軍本体と戦う信玄健在で武田軍の士気を上げ
朝倉軍は包囲網に復活、
なにより、信長の作戦の幅を減らす
後継者でも勝利する為
3年間秘密なのだ
撤退し、領土拡大ではない
上洛して京からの天下への号令を狙っていたのだ
@Fさんのコメント:
信玄が死んだあと…上洛することは可能だったと信玄は思っていた?確かに勝頼はなかなか戦いの才能はあったと思うが…なぜ引き返したのか…と、言えば…やはり武田と家臣団の関係性の特殊性があったのか?恐らく信玄の代わりに勝頼が上洛するパワーはあっただろうと思えるが…どの範囲まで信玄の死を秘密に出来るかがミソですかね?…🤔
コメントへの返信:
現在、例えばアメリカ軍の強さを計る時にトランプの能力は1つの指標だ。アメリカ軍はアメリカ軍だから強い。戦国時代も同じ。信玄が強いのは承知。でも、甲州が周辺国一の強さなって数十年が経った。信玄も部下も足軽も周辺国も甲斐国の軍は強いと思ってた。
あの強い家康の軍の三河兵3人に甲州兵1人と言われてる。ベトナムがアメリカ軍と中国軍を撃退して数十年、未だに世界一強い軍とベトナム軍をあげる人もいる。そして虚像は信玄にさえも蝕んでいた。でも、勝頼や他の部下たちは自信がなかった。だから遺言を無視したんだよ
信玄の死なんて死の淵にいても周知になるのは信玄も承知だ
@Rさんのコメント:
遺言にわざわざ3年間秘密と書くということは、そこに意図があった訳ですね✨推察、そうですか✨難しくて分かりませんが、何回も繰り返して聴いてしまいました✨ありがとうございます🥰
コメントへの返信:
中小国家にお父さんの信虎が保ちました。そして信玄は戦国時代最強とまで呼ばれるほどに国を強くしました。そんな頼り甲斐のあるお父さんみたいな信玄が死んだ。なんて知られたら詐欺師たちに狙われちゃうと信玄は思ったのかな?というところです😁

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