1973年生まれのまる男は小学校1年の頃から、ある理由でプロも通うボクシングジムで学校以外、ボクシング漬けだった。そして、中学校、友達に誘われて野球部に入る。運動神経は怪物だけど、常識のだいぶずれた少年と少し奥手な仲間たちの物語である


朝の教室内は静かだった。窓ぎわの席に座るまる男、垂也と話している。となりの席では角郎が、角郎チャンネルのネタを考えていた。
まる男たちは、自動車の話をしていた。そしてミニカーコレクションは垂也の自慢だ。
「持っているのは…フェラーリとか、ランボルギーニとか…極めつけがマスタリング!持ってんだよ。マスタリングをな。カッコいいぞー。」
垂也の自慢にまる男は目を輝かせて言った
「へー凄いなー。マスタリングかー。良いよなー。あれ」
垂也は胸を張っている
その時、角郎が口をはさんだ。
「それはフォードのマスタングのことか?車でマスタリングって洗車とかするのか?それとも改造とかか?ミニカーで洗うのがどこがカッコいいんだ?まあ、改造なら…」
垂也は角郎の言葉にかぶせるように言った。顔は引きつらせてだ。
「く、車だって洗わなきゃダメだろ?」
角郎は本から目を離さずに言う
「洗うのがカッコいいのか?そもそもマスタリングの意味、分かってんのか?」
まる男は垂也にフォローを入れる
「うちは洗車はウメさんの役割だけど、ウメさんはカッコいいって角郎も言ってたろ?」
角郎はまる男をチラッと見て
「まあ、ウメさんは。な」
「・・・」
「・・・」

それを聞いていた歴史好きの麻子は閃いた
「敵は本能寺にあり」
で有名な本能寺の変で明智光秀は信長に半旗をひるがえした。
その時、光秀は次の宿泊寺は法雲寺(ほううんじ)だったのかも知れない。
そして「夜は法雲寺にあり」を間違えて「敵は本能寺にあり」と言った
でも間違えたなんて言えないから光秀はそのまま本能寺へ行き信長を討ってしまったのだ
信長の一番の家臣は実は秀吉でなく光秀だったという説がある。
なのに、その後の光秀の行動がおかしかったのは、これが理由だろう。
麻子は大きくなったら、歴史博士になってこの説を学界で発表しようと考えた。

まる男と垂也の心の中同様
空は台風を控えて暴風が吹き荒れていた
クラスのみんなには、暑さでにじむ2人の汗は
大量の冷や汗にしか見えなかった
まる男185